Skip to content
臨済寺の歴史
- 正保2年(1645)旧吉田城主小笠原忠知公が、筑州杵築より移封の際、多年帰依した宗玄寺を吉田に移転したことに発します。寛文4年(1664)現在の地を選び萬年山臨済禅寺と改め、京都五山大本山東福寺240世虎伯大宣禅師を勧請し、創立しました。
- 小笠原忠知公は、領内の神社仏閣の造営を助成し、新田の開発、水利の確保、堤防の建設等、後世に偉業を残した大名でありました。当寺には、歴代吉田城主 小笠原忠知公・長矩公・長祐公・長重公四代の廟所があり「殿様寺」と称せられていました。
- 明暦元年(1655)吉田城に招かれた茶道宗流の始祖 山田宗翁は、当寺で参禅得道し、茶亭・楓樹・竹林・枯山水の名庭を設けました。
- 往古は、七堂完備した大伽藍を備え、大本山東福寺に在る兆殿司作四間八間の大涅槃画像写を蔵していましたが、出開帳中他寺に於いて焼失しました。
- 明治の初期には、廃藩置県、排仏毀釈の大変革に遇い、殿堂は破壊し境内は荒廃してしまいました。
- 第十六世寂寥湛普寂和尚は間口八間半、奥行七間の旧観を再現し、昭和5年高野山弘法大師1100年 豊橋奉賛会を厳修しました。
- 昭和20年、太平洋戦争中の豊橋空襲と共に、本堂・庫裡・大玄関・書院・茶屋・宝蔵等を焼失しましたが、同26年9月臨済寺史跡保存会を結成し、本堂再建・庭園復旧・茶屋建設に着手し、同28年5月に復興しました。
臨済寺の年中行事
- 3月 春の彼岸会
- 8月 お施餓鬼
- 9月 秋の彼岸会
- 毎月 和有茶会