みんな修行者

 先号の「萬年山だより」の中の「宗教と道徳」で、宗教性と道徳性の違いを述べました。少し言葉足らずでしたことお詫び申し上げますとともに、ここに訂正します。そこで述べた宗教は仏教の禅宗的立場でのことであり、特に、禅的な宗教性であります。多くの方々からご指摘をいただきましたこと、有り難く感謝いたしております。 

 先日も、私に中国語を教えてくれている愛知大学の留学生のTさんからも指摘を受けました。余談ですが、毎週曜日を決めてTさんに来てもらい、夕食後に二時間ほど中国語の勉強をしています。教科書も使いますが、大抵は彼女が中国語で質問し、私が中国語で答える会話が中心です。文章を見れば、中国語の意味は先ず分かります。でも、会話はなかなか難しく、Tさんの言うには、目から入る中国語ではなく、耳から入る中国語が私にとって必要だとのことで、時に触れ折に触れての内容の会話をしてくれます。上手に答えると、「まるで中国人のようだ」と誉めてくれます。おかしなことを答えたり、発音をいい加減にすると、「中国に来ている留学生」と言われます。初め、「中国に来ている留学生」と言われた時は、まあ全体的に考えて中の上くらいかと思いました。度々言われるので確かめてみると、彼女の意味しているのは、「ダメ」ということでした。ガッカリ。
 さて、彼女の言うのには、「今、世界を揺り動かせているイスラム教、ユダヤ教なども宗教です。先号の宗教と道徳の違いからすると、それらの宗教と、そこで述べられた宗教とは異質の感じがします。絶対なる力を有した神の力を信じる宗教は神に救っていただく教えで、自己の内より出るものではない。神は絶対であり、人はいくら努力しても神にはなれません。宗教が内より出るものとするならば、それらは宗教ではないのですか?」ということでした。
 宗教とは、日本国語大辞典によれば、「人間生活の究極的な意味をあきらかにし、かつ人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営みや体制を総称する文化現象」とあり、宗教性は、「人間の持つ宗教的な性質や感情。また、宗教の持つ独特の性質」と出ています。『人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営み』が宗教であるのですから、Tさんが言ったように、イスラム教も、ユダヤ教も、神道も、宗教なのです。その意味で、先号の宗教と道徳の違いを述べたところの宗教の言葉遣いは違っていました。宗教の前に先程の「禅宗的な」という語を付け加えて欲しいと訂正する旨をいうと、彼女は納得した様子。

 すると、次の質問。「先日の報道で、中学生が万引きして捕まり、警察に連絡され、逃げ出して、踏切を渡ろうとして電車にはねられて死亡した事故で、その本屋さんに、『人殺し』だとか『配慮が足りない』という電話や投書の非難が続き、その本屋さんが廃業しようとしているが、どう思うか?」とのこと。その後の報道で、その行為を励ます電子メールや電話が殺到したとのことですが、Tさんの言い分は、「こんな非難がくるようなこと、中国ではありえない」とのこと。とても不思議なことと感じたようです。私もそのテレビの報道を見ていて、インタビューされた、その万引きをした子と同世代の子を持つような年令の婦人が、「そこまでしなくてもいいと思う」と、万引き少年を警察に連絡した行為を非難する答えをしていたのを見て、驚きました。実際にどれほどの「人殺し」だとか「配慮が足りない」とうい非難が来たのかは知りませんが、廃業しようとするほどですから、相当数に違いありません。でも、その後、その行為を励ます電話などがあったということは救いです。
 この報道を見て、夕食時に家族で話題になりました。すると、母がスーパーで買い物をした時の体験談をしてくれました。まだ小さな子を連れたお母さんが買い物に来ていて、見ている前でお菓子の袋を取ったそうです。そのお母さんは買い物を終わり、レジに行きました。見ていると、そのお母さんは子どもがお菓子の袋を持っているのを知りながら、計算するカゴにいれずにいました。それに気付いたレジの人が、そのお菓子について訊ねると、そのお母さんは、『払えばいいんでしょ』と、血相を変えて一言。レジの人が気付かなかったら、そのままにしてしまうつもりだったのだろうかというのです。それを聞いて、さすがに、家の子供達もびっくり顔。家庭の教育力の低下が言われますが、これでは万引きの仕方を子供に教えているようなもの。びっくりです。
 このことをTさんに言うと、彼女は、「日本人おかしいよ。万引きは犯罪でしょう。悪いことしたら罰せられるのは当然なのに、何故それをかばったりするの?」と、理解できない様子です。近年、中国人の犯罪が日本国内を騒がしていますが、日本にだって犯罪者がいるように、中国にだって犯罪者はいます。しかし、彼の国の犯罪者に対する懲罰は徹底しています。死刑もかなり行われています。銃殺刑になると、銃の弾の代金が親族に請求されるという国です。普通の中国人はそれが当たり前なのです。外国からみると、やはり日本人はおかしいと感じられるようです。
 「う~ん、そうだなぁ。それは日本が豊かになり、平和ぼけしているということかなぁ」と答えると、「銀行の現金自動払い戻し機の事件だって、日本は人のいない所に大金を置いておくんだから、悪いことする人は喜んでるよ。確かに、いつだって現金を下ろせるから便利だけど ・・・・・ 」と、Tさん。「そうだね。便利さの裏には多くの危険が潜んでいるね。スーパーだって、本屋さんだって、誰だって自由に品物を手にとることができ、とても便利だけど、万引きしようと思えば簡単にできそうだし、出来心ということもあるよね」と言うと、「出来心でも、人の真似でも、悪いことは悪いこと」と、Tさん。「そうだよ。いくら人がやっているからといっても、真似をしたからといっても、泥棒の真似をしたら即ちその人は泥棒。真似したとか、出来心なんて言い訳は通用しないよね」と、私。すると、「日本はどうしてこうなっちゃたの?」と、Tさん。

 日本が現在のような状況になったのは、第二次世界大戦の敗戦が大きく関係しています。戦後、自由主義が導入され、戦前のものの考え方、社会規範など、よいものも悪いものも一緒に古い考え方として排除されました。そして、復興を目指し、誰もが真剣に働きました。働けば働くだけ経済的に豊かになりましたが、日本の自由主義は、木に竹を接いだようなもので、我がまま勝手を自由だと勘違いしています。長い歴史の裏付けの下に社会規範となっている西洋の自由主義には、自由であると同時に個人の責任も問われます。我がまま勝手の無責任ではありません。日本は物質的には豊かになったのですが、残念なことに自由のはきちがえをしています。
 「じゃぁ、日本はもうダメなの?」と、Tさん。「今のままではダメだが、日本人はそれほど馬鹿じゃないと思うよ。自由主義が西洋で華開くまでには長い時間がかかったように、日本でもそれが根付くまでには時間がかかる。今、日本は次の世界の指導理念形成の胎動期だと思う。戦後の復興をこれほど短期間に行い、豊かになり、経済的にも技術的にも世界の先進国になった民族だから、次は、心の問題の先進国にならなくてはならない。その使命があるし、また、できる民族だと思うよ」と、私。中国人の留学生に、「もう日本はダメだ」などと思われたくないし、このままではあまりにも日本人として情けないではありませんか。
 すると、「これからの世界の指導理念はどんな理念だと思いますか?」と、彼女。

 これからの世界をリードできる理念はやはり禅的な理念だと思います。先程の日本国語大辞典の宗教の意味を思い出してください。人間生活の究極的な意味をあきらかにし、かつ人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営みが宗教ですので、まず、多くの人が信じうるものでなければなりません。そこで問題なのが、信じる内容・教えです。世界の宗教を見てみると、様々な教えがあります。イスラム教やユダヤ教やキリスト教などの一神教また多くの土俗の宗教は偉大な力を有する絶対神に救ってもらう教えです。仏教の中でも救ってもらう側面の強い教えもありますが、基本的には仏教は目覚めの教えで、自分が仏になる教えです。特に、禅の教えはその目覚めを大切にする宗旨で、先号の百丈禅師の「一日不作一日不食」のように、自己の内から出る宗教性を大切にします。まず、世界のさまざまな教えの中で、禅の自らの内にある仏性(本来の自己)に目覚めるという立場は特異で、他にその類をみません。救ってくれる絶大なる力を信じるか、仏性に目覚める教えを信ずるか、他の宗教と禅とはここが異なるのです。これからの世界には、自己の内面を見極めていこうとする教えが重要であり、人間の究極的な問題を解決するには、禅的な理念が必要だと思います。
 自己を見極める行為を修行と言います。よく考えてみますと、私たち人間は好むと好まざるとにかかわらず、多くの苦を背負って生きています。仏教では、苦の本質は思い通りにならないと説きます。立場を変えて考えてみると、人間はこの世に苦の体験を通して自己を見極める修行をしに来ていると思えます。人間誰しも修行者なのです。昔、鉄眼禅師は、「悟りの眼で見れば、猫も杓子もみな金塊に見える。人はその金であるということを見落とし、その形態に捕われ、美人だとか、醜いとか、表面のことばかりにこだわっている。本来、誰もが無垢の金なのだ」と諭されています。「衆生本来仏なり」・・・ 誰もが本来は無垢の金(仏)なのです。その仏に目覚める修行をしているのです。
 自分が修行者であるという自覚を持つことなくして、悟りの目は開きません。まず、修行者であるということを自覚することが大切です。修行者であるならば、苦を苦とする必要はなくなります。思い通りにならない苦を思い通りにしようとするから苦となるのですから、苦から逃げようとしても、苦から逃げ出すことはできません。老いること、死を迎えること、その他にも多くの苦がありますが、それから逃げようとするのではなく、しっかりとそれを見据え、見極めていこうとする態度が修行者の態度です。苦の体験をしに来ているのだから、苦があって当たり前なのです。金持ちは金持ちなりに、貧乏な人は貧乏なりに、美人は美人なりに、醜い人は醜い人なりに、健康な人は健康な人なりに、病弱の人は病弱の人なりに、それぞれの立場の修行をしっかりとやらなければならないのです。修行者であるという自覚があれば、万引きや悪いことなど行う訳がありません。

 『無門関』という禅書に次のような話が出ています。Tさんにその本『禅語の味わい方』(西部文浄著)を見せましたので、ここでその部分を引用します。
『瑞巌師彦禅師は、毎日毎日、大きな岩の上に座って、ばかみたいに、
「主人公」と、自分で自分に向かって大声で喚び、そして自ら返事をしておられたということです。
 「惺惺著や」(目を覚ましておるか、ぼんやりするなよ)
「喏」(ハーイ)
 「他事異日、人の瞞を受くること莫れ」 (これから先、人にだまされるではないぞ、世間の毀誉褒貶や名利や人情などにくらまされないように気を付けろよ)
 「喏々」(ハイ、ハイ)
と。これが瑞巌の日課で、それ以外、生涯一言の説法もされなかったということですが、いったい何が楽しみでこんなことをしておられたのでしょう。
 各自、何が大切といっても、主人公(仏性)ほど大切なものはありません。しかるに、この主人公を忘れ、見失っているのが、私たち凡夫の姿なのです。だから、この主人公を見出し、これに相見することが何よりの急務であります。古人が霜辛雪苦されたのも、みなこのためであります。しかし、たとえ見出したからとて、それで能事終われりと小成に安んじていては、これまた大患です。少しでも油断すれば、すぐまた雲に覆われてしまいます。いつでも「惺々」でなければなりません。古人が、練り来たった上にも練り、磨き去った上にも磨き、不断に悟後の修行に精進されたゆえんであります。
 瑞巌は、自ら主人公に成り切って「主人公」と喚び、そして自ら主人公に成り切って「ハーイ」と返事をしておられるのです。喚ぶも主人公、答えるも主人公、徹底主人公に成り切っておられます。一見ばかげたことをやっておられるようですが、そこに正念相続の尊い姿があり、私たちに対する親切な教訓があるのです』

 引用が長くなりましたが、主人公(仏性)に目覚め、主人公を大切にして生きていく態度こそ、修行者です。「人の瞞を受くること莫れ」と瑞巌禅師は言われていますが、他人からの瞞(まん・だますこと)よりも、自己の内にある三毒の心(むさぼり・いきどおり・おろかさ)にだまされることの方が本当は恐いのです。三毒にだまされ、犯されないで、主人公を大切に生きていくことが修行者の生き方です。
 「修行ねぇ。修行者だと言われてもねぇ。・・・・・ あ、もうこんな時間。私、帰ります。また今度、修行ということについて教えてね。再見」と、Tさん。もう十時をはるかに過ぎていました。「わぁ、遅くなっちゃたね。じゃぁ、再見」と私。次回に修行についての話をする約束をして、彼女は帰っていきました。じゃぁ、私もこの辺で、再見


一日不作 一日不食

今、私が耕作している畑には里芋、生姜、径山瓜(きんざんうり)、ゴーヤ、南瓜、胡瓜、小松菜、サニーレタス、縮緬チシャ、パセリ、ミニトマト、うこん、ねぎ、シソが植わっています。径山瓜は東福寺の管長様が中国の杭州の径山萬寿寺から種を持ち帰った瓜で、種を昨年いただき、今年も植えました。いわゆる糸南瓜です。里芋や生姜、ゴーヤは檀家さんや知人からいただいたもの。うこんは、従兄弟が、「お前は酒を飲むから、これを植えて食べるように」と、持ってきてくれたものです。

平成11年の暮れ、それまで土地を貸していた方が返してくださいました。幼稚園の園舎の東側で近くですから、園児と一緒に楽しもうと、畑にしました。

その土地は更地にして返してくださったのですが、何分にもそれまで家が建っていた場所です。少し掘れば、家の基礎の瓦礫がいっぱい出てきました。最初は、まずこの瓦礫除きから始めました。それと一緒に落ち葉を入れ、土質の改良をしました。初めに作ったのは、じゃが芋。園児と一緒に三月に植えました。何分にも痩せた土地ですので、この時は土地改良材を入ました。4月の初め、じゃが芋の芽が出てきた時は本当に可愛く、嬉しく思いました。小さな芽が一日一日と大きくなっていくのを見るのはとっても楽しく、喜びでした。六月に収穫すると、小粒ながらも芋がそれでもできていました。ちょうど子供たちが食べやすいような大きさでしたので、蒸かして食べました。結構おいしく食べることができ、収穫の喜びを感じました。

それからは、時間があると畑に行き、畑の手入れです。とても鍬などでは仕事になりません。少し掘れば、ガチンと基礎の取り残しのコンクリート塊が出てきます。ツルハシやスコップでの土起しの毎日でした。現在、小笠原公の霊屋の工事をしてくださっている植村さんが見かねて、パワーシャベルを貸してくれました。畑の中なら免許は要りませんので、操作を教えてもらい、真夏の炎天下、自分で瓦礫を掘り起しました。さすがにパワーシャベルです。スコップでは汗だくになってもなかなか取り出せないような塊も難なく掘り出してしまいます。「お寺を追い出されたら土建業に転向するのか?」などと冷やかされながら、相当量の瓦礫を掘り出しました。ちょうど庭師が入っていましたので、切った枝や葉っぱなど全て畑に運び、土に混ぜ込むことができました。

その年の秋。今度は園児と大根作りに挑戦。結果は、大根とはとてもいえない細く小さな大根(?)の収穫に終わりました。収穫の後で土を起してみると、前に埋めた葉っぱや枝がまだ腐らず、原型を留めていました。これでは仕方ないので、粉砕機を買うことにしました。

粉砕機は使ってみるとなかなかお勧めです。電気の生ゴミ処理機も使ってみましたが、何と言っても時間がかかります。その点、地面さえあれば、粉砕機にかけて土に混ぜ込む方が処理には手がかかりますが、腐葉土に早くなります。地球を汚さないために、粉砕機を買ってからは、お墓の下げられたお花も、庭師の切った枝も、みんな粉砕機で細かくして腐葉土にしています。

ここでひとつお願いですけれども、お墓の花を下げられましたら、輪ゴムやビニール紐は取っておいてください。輪ゴムやビニール紐が粉砕機に入りますと、からまってしまい、機械が止まってしまいます。からまった紐やゴムを取り除くのにはなかなか手間取ります。環境保全のためにも、お花をゴミにださないようにしたいと思いますので、よろしくご理解とご協力をお願いいたします。なお、親戚の方々にも、よろしくお伝えいただきますよう、重ねてお願い申しあげます。

さて、その次の年。昨年ですが、春に園児とじゃが芋を植えました。この時は昨年の経験がありますので、概ねできることは分かっていました。でも、どれくらいの出来か、気になります。土をそっとどかしたり、指を土の中に突っ込んだり、芋の確認。土の中の芋に指が触れた時などは、「ヤッタァ!!」と、喜びでいっぱいです。 収穫の頃、ちょうど父の日にちなんだ行事を行いましたので、年長児の親子で収穫をしました。前年のことがありますので、あらかじめ、芋は蒸かして全園児で食べますから、お土産に持って帰ることは期待しないで欲しい旨を伝え、みんなで掘りました。出てくる芋は前の年をはるかに上回り、大きな芋がいっぱいです。とても園児だけでは食べきれない量でしたので、急遽、お土産に持って帰ってもらうことにしました。その秋の大根も大根らしいものができました。 園児達にじゃが芋や大根を植えさせるとすごいですよ。名札など付けていませんが、自分が植えた場所をしっかりと覚えているのです。登降園の折に、お母さんを連れて畑に行き、自分の植えたものが芽を出したり、大きくなっているのを教えている姿をよく見かけます。

ところで、インドやタイなどの南方の仏教僧は畑作などの労働はしません。日本や中国の僧侶は作務といって労働をします。何時頃からどのように変わったかご存知でしょうか。

それは中国の唐の時代、達磨大師から8代目の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師からだと言われています。百丈禅師は西暦800年頃に活躍され、百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)といわれる禅道場の修業の規則を作られた方です。現在でも、禅宗の修行道場の規則はこの清規によっています。

それまでは修行僧は労働には携わっていませんでしたが、百丈禅師は作務の中に宗教性を見出し、修行に作務を取り入れました。百丈禅師は95歳の天寿を全うされたという方で、高齢になってからも修行僧と一緒に作務に従事し、1日も怠るということがありませんでした。しかし、弟子たちは、老体の禅師が作務に励まれている姿を見て、その身を案じ、再三、作務を休まれるよう進言します。しかし、禅師は聞き入れません。そこで、弟子たちは相談し、禅師専用の作務の道具を隠してしまいました。道具がなければ百丈禅師といえども作務は休まれるだろうという、弟子たちの考えです。作務の合図の鳴らし物の音を聞き出てきた百丈禅師は自分の道具がありません。それを見て、禅師は部屋に戻られました。それから以後、膳をすすめても決して箸をとられません。老体の禅師の身体を心配して道具を隠して休んでもらおうとしたのですが、、却って食事をとられなくなってしまわれ、弟子たちは困惑の状態だったとのことです。

それが3日も続き、とうとう一人の弟子が進み出て、「和尚は3日も食事をとられませんが、何故ですか」と問いかけました。すると、その時の百丈禅師の答えが、「一日不作一日不食」(いちじつなさざれば、いちじつくらわず)との一言。私は今日1日何もしなかったのだから、今日は食べることをやめにしようというのです。驚いた弟子たちがすぐに道具を整えますと、禅師は喜んで作務に出られ、それ以後は平常のように食事もされたということです。

白隠禅師は、「動中の工夫、静中に勝ること百千億倍す」と言われています。工夫は「修行に精進する」という意味ですので、「静中の工夫」は坐禅をしている状態の修行、「動中の工夫」とは作務をしたり、托鉢をしたり、もっと言えば日常生活の行為そのものの中での修行です。行動している時、とかく「工夫」を忘れがちになりますが、動中においてしっかりと心を離さず、自己を見極めていくことが大切なのです。 この意味で、百丈禅師は清規に作務を取り入れたのです。単に、労働は神聖なものであるとか、働く喜びを知るべきであるというような意味合いではありません。作務を単なる労働と捉えていた弟子たちに、その中にある宗教性に目覚めさせる一言でありました。

この「一日不作一日不食」は、時として「働かざる者食うべからず」と比較されます。また、同じ意味だと思ってみえる方もみえます。この2つの語の違いには大きなものがあります。百丈禅師の「一日不作一日不食」の語は、禅師自らの内よりほとばしりでた言葉で、自らの宗教性による語であり、他人に強要しようとするものではありません。「働かざる者は食うべからず」は、自らの内からの言葉ではありません。他から強制されるものです。自分の内よりでるものと、他から強制されるもの。この違いが、実は宗教性と道徳性の違いなのです。

宗教性と道徳性の違いはよく理解しておかなければなりません。近年、教育界で道徳教育の重要性がいろいろと言われていますが、先程の意味からすると、道徳教育をいくらやっても社会はよくはなりません。道徳は他からの強制ですので、1人になった時は作用しませんし、押し付けには、人は反発します。また、「旅の恥はかき捨て」というように、自分のことを周りの人が知らなければ平気で恥知らずのことをしでかします。1人になっても、自分のことを周りの人が知っていようといまいと、自らの内から出てくる宗教性、そこに重点を置いた教育こそ必要なのです。宗教教育を否定することは、この意味からしても愚かなことなのです。

話が少しかたくなってしまいましたが、作務は禅宗では重要な意味があることはお分かりいただけたことと思います。

私の修行した道場・正眼寺は美濃加茂市伊深町にあります。伊深とはよく言ったもので、周りは山と田んぼと道路沿いに点在する人家。人里離れた山奥とまではいいませんが、いわゆる山村です。寺にも畑や田んぼがあり、田んぼではもち米を作っていました。普段食べる米は托鉢で十分に得ることができましたので、正眼寺の田んぼは托鉢では貰えないもち米を作っていたのです。また、正眼寺は広大な山も持っていましたから、山の植林や下草刈り、伐り出しの作務など、多くの経験をさせていただきました。

その当時を今振り返ってみますと、畑の作務に当っている気持ちの違いをひしひしと感じます。それは何かとよく自己を見つめて見ますと、主体性の違いだと感じます。修行時代、「一日云々」の語も、「動中云々」の語も耳にタコができるほど聞かされましたし、上の役になった時には下の修行者に事ある度に言いもしました。参禅や坐禅だけが修行ではなく、これも大切な修行と励んだつもりです。日暮りゃ腹減るというような修行をしていた訳ではありませんが、よく考えてみますと、やはり心の何処かに、やらさせられているという気持ちがあったように思います。やらさせられているという使役の苦は、六道の畜生界。畜生界から解脱するには、主体的に物事にあたり、主体的に生き、やらさせられているという意識から脱却することが必要です。畑でじゃが芋を作ったり、大根や菜っ葉を作ったりながら作務の大切さを再認識しました。

人生は死ぬまで修行だと言われます。百丈禅師や白隠禅師の語を胆に命じ、一歩でも半歩でも修行を進めていこうと精進しています。

さぁて、外の雨も止んだようだし、この原稿もできあがったことだし、、スコップでも持って、畑にノコノコ出かけるとしましょ。


土塀の工事

※文中の○は「にんべんに笑」です
お墓参りに来られて驚かれた方もおみえのことと思いますが、お墓の入り口の界隈が随分と変わりました。実は、当山の開基・小笠原公の霊屋の土塀が崩れてしまい、見るも無残な姿になっていたのを直す工事を始めたからです。

当山は先の大戦で戦災に遭い、本堂をはじめ庫裏も蔵も焼失してしまいました。ただ残っていたのは、山門と、吉田城主・小笠原家がお国替えの際に移築したといわれる白尾稲荷のお堂、それと今は取り壊されていますが、弘法堂のみでした。戦後、本堂など整備してきましたが、霊屋の土塀はそのままで、瓦も白壁も落ちてしまっていました。

しばらく前のことですが、古い白黒の絵葉書を持ち、「このお墓をお参りさせてください」と来られた方がみえました。見ると、流祖宗○居士のお墓です。その裏側に、しっかりと白壁の土塀が写っているではありませんか。それを見て、『戦後五十年余りも経ちながら、まだ土塀一つも直せないのか!』と言われているようで、ドキッとさせられました。何しろこの寺は小笠原家の菩提寺としてできた寺で、その小笠原家の霊屋の土塀が崩れたままでは、本当に申し訳のないことです。そこで、意を決して工事を始めました。

先代の和尚は木を切ることを非常に嫌いました。私が道場から帰り、鬱蒼として下枝が枯れている境内を見て、岐阜の山の中の道場で十年来修行して、山の管理をしてきた経験で、木のためにもよしと考え、下枝を払いましたら、自分の指を落とされたようだと言って、叱責されました。それ以来、先代和尚の存命中は小枝一本触らないと決め、そのままにしてきました。しかし、大きくなり過ぎた木が、周囲の家々の屋根をたたくようになり、また、台風の時に倒れたりしないように枝をどうしても払わなくてはならなくなりましたので、レッカー車を入れ、枝の伐採から手がけました。工事をするには、今時のことですので、機械を現場に入れることが必要です。しかし、どう考えても、工事の機械や車輌を入れるには、お墓の入り口の右手一帯を整理し、進入路を確保するしか仕方ありませんでした。そのため、ついでにその界隈の木も切りました。そして、お正月が明けて早々に工事を始めました。

工事は伐採されていた木の根の掘り起こしから始まりました。こんなに大きな根を掘り起こすことができるのだろうかと心配でしたが、さすがにパワーシャベルの威力で、仕事をしている職人さんは随分と苦労していましたが、きれいに掘り起こしてしまいました。どんどんと整地しながら中に入り、二週間ほどで霊屋の土塀の所まで進みました。霊屋に参百年もの長きにわたり静かにお休みの小笠原忠知公はじめ歴代の殿様方もびっくりされていることと思いますが、パワーシャベルが初めて霊屋に入りました。

パワーシャベルの威力はさすがにすごいものがあります。とても人の力ではおよびのつかない威力です。北側の土塀の跡を掘っていたら、礎石の石垣が出てきました。山石の石垣でした。これを見て、「しめた!」と思いました。これは是非とも宗○さまの築庭の堀の石組みに使って土留めにしようと考えました。それというのも、私がまだ小学生の頃、金魚や鯉を飼いたくて池を作ることを先代の和尚にねだり、今、工事をしている植村さんのお父さんと一緒に池の周りの石組みをしました。先代和尚が池ができたのを見て、「この石はどこから持ってきたのか?」と訊ねました。「あそこにころがっていた石を使った」と答えました。あそこは無論、宗○さまの築庭の堀の界隈です。その当時は庭というほどの環境ではなく、戦後は何しろ芋畑にまでされていたのですから、今ほどの意識は毛頭ありませんでした。しかし、その時の先代和尚の驚きと落胆した顔がずっと忘れられませんでした。その思いが、「しめた!」と思わさせたのです。

勿論、この石を使っての土留めは宗○さまのされた石組みとは違いますが、近年の築山の土の流失を考える時、機械が入ったこの時を失ってはこのような工事はできないと思い、工事をしてくださっている植村さんたちと一緒に、宗○居士の意図された「豊川の源流」を念頭に置きながら復元に力を注いでいるところです。白壁の塀ができましたら、皆さま、お年忌の折にはどうぞ、開基の小笠原公の霊屋にもお参りしてください。 これからしばらくは、工事用の車輌が出入りしますので、お墓参りにご迷惑をおかけすることと思いますが、よろしくご理解いただきますようお願い申しあげます。

なお、現在、工事の車の出入りしている通路の場所は、いずれは墓地にしようと考えています。墓地とするのは、土塀の工事が終わってからです。まだしばらくは工事にかかります。すでに何件もの墓地の問い合わせがありますが、工事が終わってからのこととなりますので、よろしくご了承ください。


テロと報復

米国での同時多発テロ事件が起きて、もう2ヶ月、アフガニスタンへの米国の報復攻撃が始まって1ヶ月余りが経ちました。9月11日の夜の10時半を過ぎた頃、前日の台風のその後の状況でも見ようかとテレビのスイッチを入れると、大きなビルが燃えている映像が映し出されました。すると、飛行機が飛んできて、あっという間に、その向こうのビルに激突しました。それを見た時、これは映画だと思いました。それならばチャンネルを換えてNHKを見ようと、ボタンを押しても画面は変わりません。そのチャンネルはNHKでした。何でこんな時間にNHKが映画をやっているのだろうと、のんきな私の頭はまだその現実を信じられずに、民放に切り替えました。どの局も同じような映像ばかりです。これはただ事ではないぞと、やっとその事件が現実であるということに気が付きました。とうとうその夜は寝不足になってしまいました。

その報道を見ながらいろいろなことを考えさせられましたが、一番考えさせられたのは教育のことです。このような非情な事件を起こした犯人にせよ、米国にせよ、それぞれのものの考え方がこの事件の根底にあります。その考え方を育むのは、教育に他ありません。教育というと、学校や幼稚園などの機関で行なわれる教育と受け止められがちですが、家庭での子育て、社会から受ける教育、これらも含めてみな教育ということができます。 この事件に関してイスラムの過激勢力が関わったとされていますが、飛行機を乗っ取り、何の関係もない一般の乗客や乗員を道連れにしてビルに体当たりするという行為を敢行するという恐ろしい思想は、教育によっています。これを見て、第二次世界大戦の時に、我が国も特攻隊を組織し、若者が敵の艦船に体当たりをしていったことを思い出したのは、私だけではないと思います。「天皇陛下のために」「靖国神社に祭られ、神となる」と教育され、多くの若者が犠牲となりました。

米国が今回のテロ行為の対象となったのですが、米国のものの考え方自体にも問題があると思います。米国の学校教育などの中で平和についてどう教えているかは知りませんが、米国社会には「米国至上主義」の考え方があります。確かに冷戦時代を過ぎ、米国は経済的にも軍事的にも世界の超大国となり、今や、米国主導で世界が動いていると言っても過言ではありません。しかし、そこで目についてくるのが傲慢ともいえる至上主義で、自国の経済発展に都合の悪いものは全て排除するという考え方です。環境問題における京都議定書のボイコットを例に出すまでもなく、それはいたるところに見受けられます。今回のテロ行為が行なわれた理由はここにあると思います。自国至上主義の考え方、そして、それを育んでいる社会と教育、それらに向かってテロ行為が行なわれたのです。

米国のブッシュ大統領はこのテロ事件が起き、すぐさま報復を唱えました。このまま放置しておけば、更にエスカレートして大きなテロ行為が行なわれるというのがその理由ですが、報復なんて、まるで子どもの喧嘩のようですし、何か前時代的な感じがします。

体も大きく、腕力のあるA君。いつもA君たちにいじめられているI君たち。I君たちは、自分たちがいじめから開放されるためにはA君のグループと真正面から対立しても勝ち目がないので、一番のボスのA君にターゲットをしぼって、隙を狙っていました。ある日、A君が一人でいるところをI君たちは見付けました。チャンスだと言わんばかりに、I君たちは後ろから回って急襲しました。思いもかけない不意打ちをくらったA君はスッテンコロリン。いつもの恨みを晴らしたI君たちは一目散に逃げてしまいました。A君の怒りようは並大抵ではありません。「絶対に仕返ししてやる」と息巻き、仲間たちも同調して、仕返しをすることとなりました。・・・・と、まあこんな具合です。

さて、A君たちとI君たちの対立。大人である貴方がそれを見た場合、どのように対応しますか? 「そんな卑怯なやつはやっつけてしまえ」と言うとは思われません。きっと、自分がやられて嫌な思いをしたのなら、相手もやられたら嫌な思いをするということに気付かせ、暴力やいじめの結果の愚かさを説かれることと思います。やられたからやり返すのでは、何時までたってもそれの繰り返しで、A君たちがI君たちを一時的に打ちのめしたとしても、I君たちはいつまでも恨みを抱き、いずれはまた仕返しをしようと画策します。そこには一時的な安定はあるかもしれませんが、決して平和であるとはいえません。

ところで、50数年前、我が国も世界を相手に戦争をしました。その結果は無条件降伏。そして、現在の「平和憲法」と言われる憲法の成立となりました。その成立について、連合国の押し付けだとか、日本国民全体の総意ではないとよく言われ、改正の議論がしばしば国会でも行なわれています。しかし、その憲法は世界の中で唯一と言ってよい程の戦争を放棄した平和を目指す憲法です。それは世界に向かって胸をはって、声高らかに主張できるものです。

この憲法ができるに当たって、当時の占領軍・マッカーサー将軍の影響が大きいと言われていますが、その当時の中国の政府代表であった蒋介石総統の影響も忘れてはならないと思います。蒋介石総統は、「怨みに酬いるに徳を以ってす」と言って、戦後の賠償を放棄し、日本に対する報復行為を止めました。(これは、第三二号で述べました)ドイツが戦後の賠償に莫大なお金を費やしていることを思う時、日本はそのお蔭で経済的な発展をすることができたと言って過言ではないと思います。「怨みに酬いるに徳を以ってす」と賠償問題を放棄してもらったお蔭で発展できた日本が、米国から顔の見える協力を依頼されたからといって、自衛隊を戦地に派遣するということは、どう考えてもおかしなことだと思います。顔が見えないというのならば、どうして「平和憲法に則り、戦争を放棄した」ということを大きな声で言えないのでしょうか。

昔、浄土宗の開祖の法然上人は幼少の時、父親が政敵の夜討ちに遭い亡くなりました。虫の息の父に仇討ちを告げた幼少の法然上人に、父親は、「仇を討てば、次は相手がお前を仇とねらい、争いは果てることがない」と説き、仇討ちを戒め、仏門に入ることを勧めました。法然上人はその遺言に従い出家し、浄土宗の開祖となり、多くの人々を救われる方となったのです。

お釈迦さまは、「教えの要は心を修めることにある。だから、欲を抑えて己に克つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。貪ることをやめて怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。もし、心が邪悪に惹かれ、欲にとらわれようとするならば、これを抑えなければならない。心に従わず、心の主となれ。心は人を仏になし、また、畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるも、みな、この心の仕業である。この教えのもとに、相和し、相敬い、争いを起こしてはならない」と、説かれています。

地球の環境悪化は日に日に進み、もう人間と人間が争い、殺し合い、地球を汚すような時代ではありません。今、私たち人間にとって一番必要なことは、大切な子どもたちに、そして未来の人たちにきれいな地球を残していくことです。テロをする人も、戦争する人も、平和を望む人も、みんな教育によってその人格形成が行なわれます。一人一人の自覚と、日々の精進、そして、それを教える教育と社会作りが大切なのです。